去年、8月に鹿児島は知覧へ行って参りました。
こんばんは。アニマル・コミュニケーション@東京
人と動物との『幸せな未来』を結ぶアニマル・コミュニケーターの葉月です。
知覧を訪れたという話をすると・・・
スピ好きな人はまず、顔を歪ませます。
「そんな所へ行って、大丈夫?霊とか憑依されないの?」
的な・・・。
「アホか。」
この時代を生き、闘ってくれたからこそ
「今」があるとのだと言う事を忘れてはいけない。
今の日本で不自由なく暮らせているのは
他でもない、この時代に必死に日本を守ってくれた方々のお蔭なのだから。
知覧。
太平洋戦争も末期。
史上最悪な作戦。
神風特攻隊
九州は鹿児島。知覧。
十代の若者たちは次々とこの地へ集まり
訓練を受け、散って逝く時代がありました。
最初に訪れたのは「富谷食道」
ここだけタイムスリップしてしまったかの様なたたずまい。
この建物は、復元された建物ではありますが
トメさんの証言通りに当時の場所に復元されている為
その空気感は十分に伝わって参ります。
現在博物館として、女将さんの鳥浜トメさんと特攻隊員とのふれあいや
遺品、お写真を所せましと展示されています。
必ず「死ぬ」という事が決定している作戦。
またその生涯を通し「特攻隊員」のお姿を伝え続けたそうです。
『1つしかない命を投げ捨てて散って行った若者たちの事・・・
忘れてはならない。 鳥浜 トメ』
ここは、特攻隊の方々の遺品、遺書、お写真等が
びっしりと展示されています。
他に、機械の部品、武器
ゼロ戦や三式戦闘機「飛燕」、四式戦闘機「疾風」
が展示されていて
ゼロ戦の散弾を浴びボロボロになった姿を目の当たりにし
「よくがんばったね。ありがとう。」と
抱きしめたい気持ちになりました。
パイロットの方もこんなに弾を浴びて、さぞかし怖かった事でしょう。
遺書に至っては
その決意と・・・まだ少年の心が入り交ざり
とても複雑な気持ちになりました。
私もこの年の息子がいてもおかしくはない年齢。
学徒兵の方たちは
この戦争が負ける事を知っていたと思わせるような手紙を。
もし、この方たちが生きていらしたら
日本はもっとマシな国になったかな?
死を覚悟した彼らの表情は
凛々しく、まるで侍の様でした。
「明日死ぬ」
それを知っていて、爽やかな笑顔のお写真。
「私の心は晴れやかです。」
そう言って、家族や愛する者を守るために
散って逝った少年たちの前に
「感謝」だなど、なんて薄っぺらい言葉なのかと
もどかしさを覚えたのを、今でも覚えています。
日本人としての精神力、誇り、美しさ。
私も含める、現代人には、足元にも及ばないですね。
背負っているモノが違い過ぎるのですが
「今の日本をご覧になっていて、どう思っているのかな?」
そう思うと、とても申し訳ない、気持ちでいっぱいになりました。
資料館を出て、外へ。
外には復元された「三角兵舎」なるものがあります。
特攻の訓練を終えて、知覧に集まり
特攻命令が出るまで、この小さな兵舎で過ごします。
ところてん式にやって来ては、散る命。
多くの若者たちが、この地から飛びったって逝ったのです。
人を兵器にする特攻は歴史上、最悪な作戦。
それでも、彼らの死は無駄でなかったと私は信じたい。
特攻隊員の方々や沖縄や硫黄島で戦われた方々のお蔭で
日本は植民地にならずに済んだのですから。
もし、彼らが命を懸けて守ってくれていなかったら・・・。
もし、植民地になっていたら・・・。
日本はアメリカ・イギリス・中国・ソ連で四分割されていたのだから。
当時、戦争に負けたアジアの国々で
アメリカやヨーロッパの植民地にならなかったのは、私達の国、日本だけ。
彼らが命を投げ打って、その先の日本を守ってくれた事。
決して「犬死に」だとは思えないです。
私たち一行はホテルに着き
特攻隊の方々の魂を連れて来てしまった事に気づきました。
私の体は急に浄化反応を示し
焼酎は普段飲まないのですが欲して仕方がなく
あ、、、彼らが飲みたがっているのだな。
と言う事に気づきました。
丁度、ホテルの酒屋さんで利き酒コーナーがあり
私はそこで焼酎を頂く事に致しました。
「みんな、おいで!!一緒に飲もう!」
何口か飲むと、体が軽くなり
その足で、友人達のいる中庭で合流し
また、飲みました。
酒飲みも、たまには役に立つ(笑)
他愛もない会話をしていると
「もっと僕たちの話をして下さい。」
と言われ、私たちは今後の平和について語り合いました。
姿は見えないけど、彼らも参加されている事を気配で感知し
時を超え平和への「想い」が一緒である事が心強く
またとても嬉しかったです。
部屋に戻り、就寝。
朝方、気配で目を覚ますと・・・。
若い男の子たちが
枕投げ?してはしゃいでいる姿。
微笑ましい光景。
キャッキャしたかったのでしょう。
普通の男の子の様に・・・。
ただ、時代がそれを許さなかった。
母の様な気持ちになってしまい
彼らの魂が愛おしく感じてしまいました。
私はもう少し寝るね。。。。
朝、完全に目を覚ました時には
彼らはもう帰られていました。
彼らの魂はとても美しく純粋な魂。
余りにも多くの犠牲に上になる平和な国、日本。
今の日本は彼らの命に匹敵するに値するのかな??
知覧特攻平和館で語り部のお爺さんの言葉を最後にご紹介いたします。
『日本はもう、二度と戦争はしません!
でも、自分の国は自分で守らなければなりません!』
多分、これがリアルに戦争を経験された方たちの
言えるギリギリのラインなのだと思いました。
戦争を美化する訳でもなく
勿論、推奨する訳でもなく
右でも左でもなく
リアルに戦争を体験された方々が肌身で感じる事。
今の日本に危機を感じ伝えられるギリギリのライン。
私はそう、感じました。
戦後、アメリカより「精神的な敗戦者」に仕立て上げられてしまった日本人。
さあ。。。
40代、50代は繋ぎ目ですよ。
平和はお祈りしているだけでは、もう間に合わない時代です。
私達、日本人の意識が目覚める事に意味があります。
戦争は決してやってはいけない。
この先、永遠に続く平和の為に
しっかりと「心」の目で真実を見詰めて行こう。
そう、心に誓いを立てました。
全ての英霊の方々の魂に、感謝と敬意を込めて・・・。