プロになりたいけど、私で本当になれるのだろうか?

こんばんは!

アニマル・コミュニケーション講座
夢犬虹色癒店の千夏です。

最近は
タイトルの様な

プロになりたいけど
私で本当になれますか?

と、聞かれる事が増えました。

お気持ちはよーーーく分かります😊
私もそうでしたしね!

 

では、質問です。

 

私がなれませんよ!

 

と、言ったら諦めますか?

 

そして

 

諦められますか?

 

その前に深く傷付くと思うのです。

 

それが「本当の気持ち」です。

 

自分のやりたい事を
人委ねてがダメです!

ちゃんと自分打ち出して行けないと
プロの世界では通用しません。

それは出しゃばりとかではなく
自分の感情の行方は
ちゃんと自分で決めれないと
相手は動物ですので
そこを見抜いて来るんです。

自分を出来ない風にしちゃうの自分。
怖いけど挑戦して行くのも自分。

結局は自分なのです。

私は背中を押しては
差し上げれるけど

アマとプロの境目を越えるのは
ご本人(^^)

大丈夫!

国家資格がいる訳でもないし
失敗なんて、そもそも無い!

と、思うとハードルが
飛びやすくなりませんか?

自分自身を縛って
ガンジガラメにしてるのも
やっぱり自分(^_^;)

もっと自分に優しくね!

だって
やりたい事に挑戦しているのだから(o^^o)

お読みくださり
ありがとうございました。

◎アニマル・コミュニケーション◎
個人セッション
個人レッスン

アニマル・コミュニケーションが2年も出来なかった駆け出し時代

こんにちは。
アニマル・コミュニケーション講座
夢犬虹色癒店の千夏です。

今日は私の暗黒時代のお話しを
YouTubeにてお話しさせて頂きました。

なんと、2年間も出来なかったんですね~w

でも諦めずに続けた結果。。。
その時の経験を活かして講師にもなったんですよ^^

 

何かご参考になれば幸いです。

◎アニマル・コミュニケーション◎
個人セッション
個人レッスン

ブランクが空いてしまったら

こんにちは!

アニマル・コミュニケーション講座
夢犬虹色癒店の千夏です。

今日はアニマル・コミュニケーションを習得して
ブランクが空いてしまったら???

もうできないの?

と、いうご質問を頂きまして
YouTubeにてお話しさせて頂きました。

 

ご参考になれば幸いです。

 

◎アニマル・コミュニケーション◎
個人セッション
個人レッスン

直感と思い込み。違いが分からん!

こんにちは。
アニマル・コミュニケーション講座
夢犬虹色癒店の千夏です。

今日は動物さんとお話しをしていて

直感でとれているのか?
思い込みなのか?

の違いについてYouTubeでお話しさせて頂きました。

 

何かご参考になれば幸いです。

◎アニマル・コミュニケーション◎
個人レッスン


個人セッション

明確さ。いらないです

こんにちは。
アニマル・コミュニケーション講座
夢犬虹色癒店の千夏です。

アニマル・コミュニケーションをお勉強したてあるある

「明確に分からない」

についてYouTubeにてお話しさせて頂きました。

 

何かご参考になれば幸いです。

 

◎アニマル・コミュニケーション◎
個人セッション
個人レッスン

本当は、失敗が怖い訳ではなくてね…。

今朝、愛犬トラジとのお散歩中
小学校でウンテイをしている姿を見て
ピーーーンと来ました。


『人生のステージ替えって、こんな感じかも』


今宵も千夏節炸裂ですw


明後日3/13にお迎えする魚座新月に向けて
ステージ替えの方
とても多いですね(^^)

大きくステージが変わる人もいれば
プチリニューアルな感じの人もいて

これは、どっちが凄くて
どっちが劣っていると言う事ではなく
単純にいつ経験するか、時期の問題です。


ただ魚座は過去世や幼少期を含む
トラウマや悲しみなどの浄化や
そのサイクルの卒業の意味もあるので
大きく変わる方は多いのかも(^ ^)


今日、ウンテイを見てて
人生の進み具合に似てるなぁ〜って。
しみじみと見てしまったのですが。。。
私のイメージ、こんな感じです。


プチリニューアルの場合

片手で棒を掴んだまま
次の棒を掴めるんです。

安全確実に移動出来るってヤツですなw


チャレンジ・コースになると

片手は掴んだまま
1本又は2本先の棒に掴む感じ。

安全だけど、ちょっと揺れます。


完全なるステージ替えの場合

サーカス団の並にアクロバティック(゚Д゚)
今まで掴んでいた棒も手を離し
何本も先の棒にチャレンジしなければなりません。

どんな棒なのか
ちゃんと掴めるのかも
いやいや、そもそも棒はあるのか?

恐怖心と一緒に
飛ばないといけないんですね〜。


これを『失敗しない様』に
無事に次の棒を掴む為には
勢いと集中力が必要。

ドキドキですね。

でも実は
失敗が怖いんじゃないんですよね。

「え?じゃあ、何が怖いの?」

結論から言いますと

【幸せになるのが、怖いんです】


「は?」
とか言わないで下さいね(o^^o)

幸せって、努力してその先の延長線上の
ずっと先にある訳ではないんです。

が、そんな風に昭和チームは教わります。



幸せは、血と涙とおとぎ話し級に遠いお話し。

 

そもそも
幸せになる事に許可出来ていたならば
最初から、ちまちまとウンテイしないですよね。

ずっと遠くにあるはずのモノを
手にする未知感は
ワクワクもありますが
実際、目の前にドンとやって来ると

本当に良いものか?と罪悪感まで
発動してしまう事もあります。


いきなり来ると一般的には
受け取れないのもまた人なのです。

でもね、幸せって
本当は何ともない日常にゴロゴロしています。

 

10年前の今日。


家族や友人がバラバラになってしまった
東北地方。


あまりにも辛く過酷な状況の中から
私達は何ともない
ささやかな日常が一番の幸せなのだ。

 

と、気づきを頂きたく事ができました。


感情が揺さぶられて
大切な事に気づける様に
この世はなっています。

その、ささやかな幸せに
至福感を感じられる様になり。。。
フォーカスを当てられる様になると


【失敗しなきゃいけない自分】


と、サヨナラできます。


そう、幸せを手にする罪悪感が
失敗しなきゃを生み出しているので
失敗を繰り返すループなのです。

 

もし、今。

同じ様な問題でぐるぐるしていたら
失敗ではなく


《幸せになって当然の価値ある私♡》


で、しっかり自分に許可して
ウンテイ飛んでみて下さいね!


大丈夫!
超えれない問題は
決して目の前には来ないから(˃̵ᴗ˂̵)


3
11

全ての尊い魂に
哀悼の意と感謝を捧げます。


Photo  by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram

人生はパチンコ台の様なモノ

『人生はパチンコ台の様なものだなぁ〜。』

 

と、時々思う事があります。


私はギャンブルはやりませんが
パチンコのイメージって
玉を打ってから
絶妙な配置であちこちに打たれたピンに
色んな角度でぶつかりながら

時には、見当違いの箱に入り
時には、目的の箱に入り。。。

経験値が上がると

「当たりの台」が勘所で

わかってしまったりして。

こんなイメージ。



ちょっと
人生と似てると思いませんか?


現実世界で壁にぶつかった時

「どーーして、こんな所に
壁があるんだρ`)

と、起こった出来事に答えを求めても
何の意味もない所か、それは、、、


エネルギーの無駄使いです。


他人様を責めたり
コントロールしようとすると
作用反作用の法則で
同じ力で抵抗され
労力ばかり消耗して疲弊しますね。


自分が責められる事を恐れて
ついつい他人のせいにしたくなるのも
よくよく理解は出来ますが

それではいつまでも
「被害者」の立場に入るので
状況もまた、いつまでも

「◯◯されたρ`)

と言う現実を生み出します。


怖いですね〜
ρ`)


この現象をパチンコ台に例えると
被害者の立場で
パチンコの玉を打つ
(想念を発する)
『被害者の立場』にピンが生み出されるので
それはプロセスが痛い経験値となり
後味のよろしくないソレとなります。


ここを繰り返していると
やがて自分とも他人様とも
信頼関係を構築するのが
中々、難儀になってきます。


私は心理学をお勉強した際に

『現実が答え』

と、教わりました。

はい。
確かに、この世はそうゆう仕組みです。


ただ、今、不快感を覚える現象を
目の当たりにしてても
それは「今ここ」のモノではなく
過去に発した想念が
タイムラグを経て
想念の実が成ったに過ぎないのです。
(パチンコだと
玉を打ってからゴールまでの
時間差とプロセスですね!)

発した想念の結果であって
目に見えてる自分の「外の世界」に
答えを求めても
何の意味もないのです。


答えを求めるのであれば
この現実を見た原因となる想念です。

目の前に見えているモノは
全て『ヒント』。

 

ここだけ押さえておくと
自己嫌悪に陥ってしまう事もなく
目に写る世界に
振り回さる事もなく

【今ここ】

に、穏やかな心を保ち
鎮座している事が出来てきます。


しかしながら


私達は発した想念
(打った玉)
ゴールに入るコツを得るまで
実に多くの経験をし
それが『宝』となる事もあります。


何かに引っ掛かって動けない時もあり
ゴンゴンと連続して
頭を打ち続ける時もあって。。。


そうかと思えば
意外と楽勝でゴールに行ける時も。


ご褒美が沢山の時
ささやかな時。
望まない現実と言う
変化球のご褒美の時も。


望む事
望まない事も引き当て


こうやって流動的に
揺さぶれれながら
ゲームのステージを上げつつ
やがて振り幅が小さくなると


最初から
ステージに上下など無かった。

真実の自分がいる場所へ
還る事が出来るのです。


私達が時々

「還りたい。」

と言う
衝動に駆られるのは
潜在的に
この場所を知っているから。


パチンコのピンの様に
あちこちに配置された
あらゆる現象は

自分にも
他人様にも
ジャッジのない

動物や子供の様な寛容さ


【温かい在り方】

 

を教えてくれるエッセンス(^^)


観る視点を変えるだけで
目に写る世界は変わり続けます。


Photo  by.塚本ダイさん

 

八鍬千夏Instagram

 

母との確執

20年くらい前に
母が若い頃に着ていたコートを
私にくれました。


カシミアの
1枚仕立てのコート。


「ちーちゃんにサイズぴったりだから」


って、、、

 

私の母は若い頃
本当にオシャレさんでした。

晩年は安い物自慢オバチャンでしたが
若い頃は安物は着なかったと
いつも得意気に、私に言ってたのを
覚えています。


私は子供の頃はパパっ子で
母と3つ上の姉には馴染めず
いつも「溝」を感じて育ちました。

私は自由人の申し子みたいな
子供だったから
恋愛やら
やりたい事やら
徹底して潰されたら
若いし、まー、イヤですよね(^_^;)


今、思うと
母や姉の想いも理解できるのですが
つい最近までは、頭で理解はしていても
ハートでは拒絶状態だったのも事実です。

なので、このコートを
母から譲り受けた時
実は抵抗感があって
ずっと着れてなかったんです。


クローゼットの奥に眠ったまま
いくつもの越冬を致しました()
母は18年前に亡くなっていますが
心のシコリは残ったまま
時が過ぎてしまい
コート事などすっかり忘れてて。。。


去年からずっと
自分の心の整理整頓をする為に
スピリチュアル的な見解だけでなく
学問的に知りたくなり
心理学をお勉強していました。


色々と心の中を観ているうちに
母や姉への考え方が変わり
やっと雪解けた頃
お引越しをした際に
ペロンと出て来た、このコート。


先日、写真家の塚本ダイさんの
お写真の撮られ方レッスンで
ロングコートのご提案があり
その時、初めて袖を通しました。


「ちーちゃんなら、サイズぴったりだから」


って、着せてくれて


「うんうん、よく似合ってる。
可愛い。」

って、ニコニコしてた母の顔が
目の裏に蘇って参りました。



ちょっとだけ泣けました。

 

私と母の関係は
真珠に似てるな。。。って。
思うのです。

真珠の出来る過程ご存知ですか?

真珠は貝の中に入り込んだ異物を
吐き出す事ができず
痛みを伴いながら
真珠質を分泌し
傷をかばい
何層にも包み込まれ…

あの神秘的な輝きを放つ
真珠が出来上がります。


いつも異物は
痛いけど、大切な事に
気づかせて頂けますね。

 

異物(過去の出来事)ばかりに
焦点を当ててしまっては
新たな傷を生み出しますが


傷を消そうとするのではなく
受け入れて
自分の中で大切に包んであげてこそ

奥底から輝けるのだと
今は心から思います(^^)



死んじゃったら。。。

「ごめん」も
「ありがとう」も

言えないし

「ハンバーグ食べたい。」

とかも言えないんですよね。


当たり前の事だけど
そうなんですよね。



私が
32歳の時に
突然この世を去ったお母さん。


物質的な親孝行は
何も出来ないままだったけど


姉妹仲良く
傷や確執もヒラリと飛び越えて

お互いの道で
輝いて生きる事が
一番の親孝行なのだな〜って。


形も大事。
無形も大事。


そんな大切な気持ちを頂いた
撮影でした。

 

 

お母さん、コート着たよ。
あの日の様にニコニコしながら

「よく似合ってる。可愛い。」

って言ってくれたら嬉しいな(^^)

沢山の愛を込めて
ありがとう❤️

Photo  by.塚本ダイさん

 

八鍬千夏Instagram

 

カラッポ

今宵は、満月ですね〜。

 

私の中で最も

「空(くう)

を感じた日。

 

自分の過去の棚卸しをしてみました。

 

空、、、カラッポ。

周波数が最も響く環境。

ゼロ地点。

 

今朝、浮かんだキーワードは

「通過点」

振り返ってみると通過点は
痛みを伴うのモノの方が
鮮明ですね。

その過程の後味は
美味ではない分
胸に焼き付きます。

それは

動物としての本能。


生きる事に忠実な動物は
危険察知能力に長けています。

痛い思いをした場所は
記憶しておかないと
自分も一族も
命の危険に晒されてしまいますから。


人の場合は
少々違いますが


でも、ちょっと似ています。


私が行っている施術で
『アロマ音叉療法』
と言うものがあります。


もう、安全地帯から巣立たねばならない時
綺麗なハーモニーの音叉を鳴らさず

あえて

不協和音の耳障りな音叉を鳴らし
お身体に落とし込んで行きます。

「ここからもう、出る時ですよ。」

と、危険ではないですが
不快感から追い出されるという
気づきを頂きます。


痛みを伴う通過点は
真実へ向かう道標で
他人様からの、変化球の愛。


人は自分以外と比べないと
自分がどんな人間なのかが
分からないから

(そう、鏡がなければ自分の容姿すら
認識する事が出来ませんね)


沢山のカオスを
他人様と関わり経験させて頂きながら
軌道修正をするのです。


人と出逢って
幸せも痛みも
教えて頂くのがこの世の法則。


その振り幅は
人に深みや寛容
色気を与えてくれる
エッセンスです。


全ての過去は
『自分の真実』から外れない為の通過点。


新しいステージでも
ゴールでもなくて

『本当に還りかたった場所』

元々、足元にあった
本当の場所。


それでも通過点がウズく夜は

「私、よく頑張ったね。
ありがとう」って


あまり美味ではなかった通過点達に

感謝して
ねぎらって
嘘のない心で

ちょっとだけ振り向いて
ニッコリして
あげるのが良きですね。


Photo by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram

 

何故なら、そこに愛があるから

来月は卒業シーズンですね。

ここ最近。
1つのシーズンを卒業し
少し傷心モードの友人に
今日のブログを捧げます。


前にブログにも書きましたが
生きていると

『人生のクラス替え』


なるものに出会します。

私もこれまでに何度も
この『人生のクラス替え』を
有り難く経験させて頂きました。

最初の頃は
温かくて居心地の良い場所も


やがて分岐点が来ると…


それぞれの道が現れて
巣立たねばなりません。

一緒に行く人。
ここでお別れの人。

これには善悪はありませんが
しがみついていると
追い出される様な場面になったり
大喧嘩してしまったり

傷付けたり
傷付けられたり。


必要以上にエネルギーを使うのです。


卒業は『脱皮』と似てるなぁ
と、思います。

芋虫さんが
美しい蝶々になるには
サナギになって
自分の身体をドロドロに溶かし
静かに羽化の時を待ちます。


脱皮は、命懸け。


それでも
サナギは蝶々になる為に羽化をし
真新しい羽根を広げて
嬉々として飛び回るのです。


だからこそ


サナギの時は
エネルギーを全て自分の為だけに使い
飛び立つ事だけに
焦点を合わせています。

 

違って来た周波数は
もう仕方がない事。

だって
周波数は嘘をつけないから。


お互いの成長を
ポテンシャルを信頼して
それぞれの大空で
力強く羽ばたく事だけを
考えていれば大丈夫。

もし、貴方が
卒業した場所に
恩義を感じて
振り向いてしまいそうなら

心を痛めるのではなく

大空を舞う
それは、それは美しい蝶々になって

「お陰様でこんなになれました。」

と、魅せてあげる事が
何よりの恩返しだと思う。

 

それでもね。


お別れは辛いです。
ヒリヒリと心が痛みます。

どおしてこんなに
心が痛むのでしょう?


何故なら、そこに愛があるから。


大好きだった分
愛が詰まっているから。

だから
貴方の中は、愛でいっぱいなのです。

Photo  by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram