本当は、失敗が怖い訳ではなくてね…。

今朝、愛犬トラジとのお散歩中
小学校でウンテイをしている姿を見て
ピーーーンと来ました。


『人生のステージ替えって、こんな感じかも』


今宵も千夏節炸裂ですw


明後日3/13にお迎えする魚座新月に向けて
ステージ替えの方
とても多いですね(^^)

大きくステージが変わる人もいれば
プチリニューアルな感じの人もいて

これは、どっちが凄くて
どっちが劣っていると言う事ではなく
単純にいつ経験するか、時期の問題です。


ただ魚座は過去世や幼少期を含む
トラウマや悲しみなどの浄化や
そのサイクルの卒業の意味もあるので
大きく変わる方は多いのかも(^ ^)


今日、ウンテイを見てて
人生の進み具合に似てるなぁ〜って。
しみじみと見てしまったのですが。。。
私のイメージ、こんな感じです。


プチリニューアルの場合

片手で棒を掴んだまま
次の棒を掴めるんです。

安全確実に移動出来るってヤツですなw


チャレンジ・コースになると

片手は掴んだまま
1本又は2本先の棒に掴む感じ。

安全だけど、ちょっと揺れます。


完全なるステージ替えの場合

サーカス団の並にアクロバティック(゚Д゚)
今まで掴んでいた棒も手を離し
何本も先の棒にチャレンジしなければなりません。

どんな棒なのか
ちゃんと掴めるのかも
いやいや、そもそも棒はあるのか?

恐怖心と一緒に
飛ばないといけないんですね〜。


これを『失敗しない様』に
無事に次の棒を掴む為には
勢いと集中力が必要。

ドキドキですね。

でも実は
失敗が怖いんじゃないんですよね。

「え?じゃあ、何が怖いの?」

結論から言いますと

【幸せになるのが、怖いんです】


「は?」
とか言わないで下さいね(o^^o)

幸せって、努力してその先の延長線上の
ずっと先にある訳ではないんです。

が、そんな風に昭和チームは教わります。



幸せは、血と涙とおとぎ話し級に遠いお話し。

 

そもそも
幸せになる事に許可出来ていたならば
最初から、ちまちまとウンテイしないですよね。

ずっと遠くにあるはずのモノを
手にする未知感は
ワクワクもありますが
実際、目の前にドンとやって来ると

本当に良いものか?と罪悪感まで
発動してしまう事もあります。


いきなり来ると一般的には
受け取れないのもまた人なのです。

でもね、幸せって
本当は何ともない日常にゴロゴロしています。

 

10年前の今日。


家族や友人がバラバラになってしまった
東北地方。


あまりにも辛く過酷な状況の中から
私達は何ともない
ささやかな日常が一番の幸せなのだ。

 

と、気づきを頂きたく事ができました。


感情が揺さぶられて
大切な事に気づける様に
この世はなっています。

その、ささやかな幸せに
至福感を感じられる様になり。。。
フォーカスを当てられる様になると


【失敗しなきゃいけない自分】


と、サヨナラできます。


そう、幸せを手にする罪悪感が
失敗しなきゃを生み出しているので
失敗を繰り返すループなのです。

 

もし、今。

同じ様な問題でぐるぐるしていたら
失敗ではなく


《幸せになって当然の価値ある私♡》


で、しっかり自分に許可して
ウンテイ飛んでみて下さいね!


大丈夫!
超えれない問題は
決して目の前には来ないから(˃̵ᴗ˂̵)


3
11

全ての尊い魂に
哀悼の意と感謝を捧げます。


Photo  by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram

人生はパチンコ台の様なモノ

『人生はパチンコ台の様なものだなぁ〜。』

 

と、時々思う事があります。


私はギャンブルはやりませんが
パチンコのイメージって
玉を打ってから
絶妙な配置であちこちに打たれたピンに
色んな角度でぶつかりながら

時には、見当違いの箱に入り
時には、目的の箱に入り。。。

経験値が上がると

「当たりの台」が勘所で

わかってしまったりして。

こんなイメージ。



ちょっと
人生と似てると思いませんか?


現実世界で壁にぶつかった時

「どーーして、こんな所に
壁があるんだρ`)

と、起こった出来事に答えを求めても
何の意味もない所か、それは、、、


エネルギーの無駄使いです。


他人様を責めたり
コントロールしようとすると
作用反作用の法則で
同じ力で抵抗され
労力ばかり消耗して疲弊しますね。


自分が責められる事を恐れて
ついつい他人のせいにしたくなるのも
よくよく理解は出来ますが

それではいつまでも
「被害者」の立場に入るので
状況もまた、いつまでも

「◯◯されたρ`)

と言う現実を生み出します。


怖いですね〜
ρ`)


この現象をパチンコ台に例えると
被害者の立場で
パチンコの玉を打つ
(想念を発する)
『被害者の立場』にピンが生み出されるので
それはプロセスが痛い経験値となり
後味のよろしくないソレとなります。


ここを繰り返していると
やがて自分とも他人様とも
信頼関係を構築するのが
中々、難儀になってきます。


私は心理学をお勉強した際に

『現実が答え』

と、教わりました。

はい。
確かに、この世はそうゆう仕組みです。


ただ、今、不快感を覚える現象を
目の当たりにしてても
それは「今ここ」のモノではなく
過去に発した想念が
タイムラグを経て
想念の実が成ったに過ぎないのです。
(パチンコだと
玉を打ってからゴールまでの
時間差とプロセスですね!)

発した想念の結果であって
目に見えてる自分の「外の世界」に
答えを求めても
何の意味もないのです。


答えを求めるのであれば
この現実を見た原因となる想念です。

目の前に見えているモノは
全て『ヒント』。

 

ここだけ押さえておくと
自己嫌悪に陥ってしまう事もなく
目に写る世界に
振り回さる事もなく

【今ここ】

に、穏やかな心を保ち
鎮座している事が出来てきます。


しかしながら


私達は発した想念
(打った玉)
ゴールに入るコツを得るまで
実に多くの経験をし
それが『宝』となる事もあります。


何かに引っ掛かって動けない時もあり
ゴンゴンと連続して
頭を打ち続ける時もあって。。。


そうかと思えば
意外と楽勝でゴールに行ける時も。


ご褒美が沢山の時
ささやかな時。
望まない現実と言う
変化球のご褒美の時も。


望む事
望まない事も引き当て


こうやって流動的に
揺さぶれれながら
ゲームのステージを上げつつ
やがて振り幅が小さくなると


最初から
ステージに上下など無かった。

真実の自分がいる場所へ
還る事が出来るのです。


私達が時々

「還りたい。」

と言う
衝動に駆られるのは
潜在的に
この場所を知っているから。


パチンコのピンの様に
あちこちに配置された
あらゆる現象は

自分にも
他人様にも
ジャッジのない

動物や子供の様な寛容さ


【温かい在り方】

 

を教えてくれるエッセンス(^^)


観る視点を変えるだけで
目に写る世界は変わり続けます。


Photo  by.塚本ダイさん

 

八鍬千夏Instagram

 

母との確執

20年くらい前に
母が若い頃に着ていたコートを
私にくれました。


カシミアの
1枚仕立てのコート。


「ちーちゃんにサイズぴったりだから」


って、、、

 

私の母は若い頃
本当にオシャレさんでした。

晩年は安い物自慢オバチャンでしたが
若い頃は安物は着なかったと
いつも得意気に、私に言ってたのを
覚えています。


私は子供の頃はパパっ子で
母と3つ上の姉には馴染めず
いつも「溝」を感じて育ちました。

私は自由人の申し子みたいな
子供だったから
恋愛やら
やりたい事やら
徹底して潰されたら
若いし、まー、イヤですよね(^_^;)


今、思うと
母や姉の想いも理解できるのですが
つい最近までは、頭で理解はしていても
ハートでは拒絶状態だったのも事実です。

なので、このコートを
母から譲り受けた時
実は抵抗感があって
ずっと着れてなかったんです。


クローゼットの奥に眠ったまま
いくつもの越冬を致しました()
母は18年前に亡くなっていますが
心のシコリは残ったまま
時が過ぎてしまい
コート事などすっかり忘れてて。。。


去年からずっと
自分の心の整理整頓をする為に
スピリチュアル的な見解だけでなく
学問的に知りたくなり
心理学をお勉強していました。


色々と心の中を観ているうちに
母や姉への考え方が変わり
やっと雪解けた頃
お引越しをした際に
ペロンと出て来た、このコート。


先日、写真家の塚本ダイさんの
お写真の撮られ方レッスンで
ロングコートのご提案があり
その時、初めて袖を通しました。


「ちーちゃんなら、サイズぴったりだから」


って、着せてくれて


「うんうん、よく似合ってる。
可愛い。」

って、ニコニコしてた母の顔が
目の裏に蘇って参りました。



ちょっとだけ泣けました。

 

私と母の関係は
真珠に似てるな。。。って。
思うのです。

真珠の出来る過程ご存知ですか?

真珠は貝の中に入り込んだ異物を
吐き出す事ができず
痛みを伴いながら
真珠質を分泌し
傷をかばい
何層にも包み込まれ…

あの神秘的な輝きを放つ
真珠が出来上がります。


いつも異物は
痛いけど、大切な事に
気づかせて頂けますね。

 

異物(過去の出来事)ばかりに
焦点を当ててしまっては
新たな傷を生み出しますが


傷を消そうとするのではなく
受け入れて
自分の中で大切に包んであげてこそ

奥底から輝けるのだと
今は心から思います(^^)



死んじゃったら。。。

「ごめん」も
「ありがとう」も

言えないし

「ハンバーグ食べたい。」

とかも言えないんですよね。


当たり前の事だけど
そうなんですよね。



私が
32歳の時に
突然この世を去ったお母さん。


物質的な親孝行は
何も出来ないままだったけど


姉妹仲良く
傷や確執もヒラリと飛び越えて

お互いの道で
輝いて生きる事が
一番の親孝行なのだな〜って。


形も大事。
無形も大事。


そんな大切な気持ちを頂いた
撮影でした。

 

 

お母さん、コート着たよ。
あの日の様にニコニコしながら

「よく似合ってる。可愛い。」

って言ってくれたら嬉しいな(^^)

沢山の愛を込めて
ありがとう❤️

Photo  by.塚本ダイさん

 

八鍬千夏Instagram

 

カラッポ

今宵は、満月ですね〜。

 

私の中で最も

「空(くう)

を感じた日。

 

自分の過去の棚卸しをしてみました。

 

空、、、カラッポ。

周波数が最も響く環境。

ゼロ地点。

 

今朝、浮かんだキーワードは

「通過点」

振り返ってみると通過点は
痛みを伴うのモノの方が
鮮明ですね。

その過程の後味は
美味ではない分
胸に焼き付きます。

それは

動物としての本能。


生きる事に忠実な動物は
危険察知能力に長けています。

痛い思いをした場所は
記憶しておかないと
自分も一族も
命の危険に晒されてしまいますから。


人の場合は
少々違いますが


でも、ちょっと似ています。


私が行っている施術で
『アロマ音叉療法』
と言うものがあります。


もう、安全地帯から巣立たねばならない時
綺麗なハーモニーの音叉を鳴らさず

あえて

不協和音の耳障りな音叉を鳴らし
お身体に落とし込んで行きます。

「ここからもう、出る時ですよ。」

と、危険ではないですが
不快感から追い出されるという
気づきを頂きます。


痛みを伴う通過点は
真実へ向かう道標で
他人様からの、変化球の愛。


人は自分以外と比べないと
自分がどんな人間なのかが
分からないから

(そう、鏡がなければ自分の容姿すら
認識する事が出来ませんね)


沢山のカオスを
他人様と関わり経験させて頂きながら
軌道修正をするのです。


人と出逢って
幸せも痛みも
教えて頂くのがこの世の法則。


その振り幅は
人に深みや寛容
色気を与えてくれる
エッセンスです。


全ての過去は
『自分の真実』から外れない為の通過点。


新しいステージでも
ゴールでもなくて

『本当に還りかたった場所』

元々、足元にあった
本当の場所。


それでも通過点がウズく夜は

「私、よく頑張ったね。
ありがとう」って


あまり美味ではなかった通過点達に

感謝して
ねぎらって
嘘のない心で

ちょっとだけ振り向いて
ニッコリして
あげるのが良きですね。


Photo by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram

 

何故なら、そこに愛があるから

来月は卒業シーズンですね。

ここ最近。
1つのシーズンを卒業し
少し傷心モードの友人に
今日のブログを捧げます。


前にブログにも書きましたが
生きていると

『人生のクラス替え』


なるものに出会します。

私もこれまでに何度も
この『人生のクラス替え』を
有り難く経験させて頂きました。

最初の頃は
温かくて居心地の良い場所も


やがて分岐点が来ると…


それぞれの道が現れて
巣立たねばなりません。

一緒に行く人。
ここでお別れの人。

これには善悪はありませんが
しがみついていると
追い出される様な場面になったり
大喧嘩してしまったり

傷付けたり
傷付けられたり。


必要以上にエネルギーを使うのです。


卒業は『脱皮』と似てるなぁ
と、思います。

芋虫さんが
美しい蝶々になるには
サナギになって
自分の身体をドロドロに溶かし
静かに羽化の時を待ちます。


脱皮は、命懸け。


それでも
サナギは蝶々になる為に羽化をし
真新しい羽根を広げて
嬉々として飛び回るのです。


だからこそ


サナギの時は
エネルギーを全て自分の為だけに使い
飛び立つ事だけに
焦点を合わせています。

 

違って来た周波数は
もう仕方がない事。

だって
周波数は嘘をつけないから。


お互いの成長を
ポテンシャルを信頼して
それぞれの大空で
力強く羽ばたく事だけを
考えていれば大丈夫。

もし、貴方が
卒業した場所に
恩義を感じて
振り向いてしまいそうなら

心を痛めるのではなく

大空を舞う
それは、それは美しい蝶々になって

「お陰様でこんなになれました。」

と、魅せてあげる事が
何よりの恩返しだと思う。

 

それでもね。


お別れは辛いです。
ヒリヒリと心が痛みます。

どおしてこんなに
心が痛むのでしょう?


何故なら、そこに愛があるから。


大好きだった分
愛が詰まっているから。

だから
貴方の中は、愛でいっぱいなのです。

Photo  by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram

 

ゼンセノハナシ

今日はちょっと『前世』のお話し。

先日、撮影でアンティークのお着物を着た時
ふと。。。蘇って来た想いもあって

まぁ、物語と思って
読んで頂けると幸いでございます。

 

私は動物も人も
前世があると言う概念を
採用しています。


前世で経験した生涯は
細胞レベルで記憶されていて
切り離された物ではございません。


ですので


ヒプノセラピーや
瞑想など
軽く寝入り端の時に
蘇り易いと言われています。

私にも沢山の前世があります。

中でも多いのが
意外かも知れませんが

花魁やクルチザン
秘技を使う巫女さんとか

いわゆる、娼婦や愛人の生涯で
これは自分で知ってる物から
ヒプノセラピーで観た物まで
色々です。


『女』を生業にしていた事もあり


恋多き女から悲恋の恋まで
レパートリーは幅広でございます。




魂が違う経験をする為には
今世では『節制』や『節度』を
徹底した環境を選ぶ必要がありました。

前にも書きましたが
私の両親は異常な程
男性関係には厳しく
しらみ潰し状態で
若い頃の恋愛を潰されて参りました。


お陰様で恋愛恐怖症となり
しっかりと節制な日々を送る
ぴちぴちな二十代。


当時の私は嫌で仕方がなかったのですが
親の言う事は絶対だったので
今では笑い話しですが
大好きだった彼との結婚を
諦めた経験もあります(^^)

でも、こうやって少し高い所から
見下ろしてみると
それも計画の内の1つだったのかな?と。


さて、では。
何の計画でしょうか?


この世は二極の性質が有る様に
戦争があるから
平和の有り難さを知れて
闇があるから光がより一層
眩しく美しく感じるのです。


自由も同じ。


私の今世のテーマは
『自由』と『女性性』

でも、自由がどんな物かを知る為には

真逆の強いコントラストを
体験し続ける必要があるのですね。

最初から放任主義の両親では
自由を満喫し味わえないから。


そのメカニズムが分かって来ると
人生って上手く出来ているな〜とも
思います(^^)



先日、写真家の塚本ダイさんに
亡き叔母から頂いた
アンティークのお着物を羽織って
撮影して頂きました時

ふと、湧き上がって来た想いがあって

それは。。。

「悲恋の恋が多かったな〜(しみじみ)


でした
()


何でこんな事
思ったのかは分からないのですが
ふと、湧いて来たんですね。


でもね。


決して悲しい感じではないんですよ。


どちらかと言うと
そろそろ、自分を許してあげましょう。
的な癒しの想い。


私は幼い頃から
【女性は裸が一番美しい】って
思ってる、ちょっと変わった子で

その一方で

自分は「汚れている」と言う感覚もあって
更に
思春期は早熟ちゃんタイプだったので

『ずっと可愛いちーちゃん』

で、いて欲しかった父は
とても嫌がりましてね

心と身体のバランスを取るのが
大変だったのを思い出したんです。


そしたら


前世も含めて
全てが愛おしく思えて来たんですよ。

人はこうやって
1つずつ受け入れて
強くなって行くのでしょうね。


心の明度がワントーン
明るくなった感じです。


前世に関しては
過去の生涯を言い訳にしてしまっては

本末転倒です。

「こんな前世だったから
今はこんな状態なんだ。」

に、直結させてしまうには
よろしくありません。


前世は正しく使ってこそ
魂さんが輝きます。

 

例えば。。。。

スピ系あるある前世では
『魔女狩りにあって死にました。』
って、他の死因ないのか?
と、思うくらいオハコな前世()

「今、上手くリーディングが出来ないのは
魔女狩りにあった恐怖からなんです!」

と、おっしゃる方もあるあるで
それは、そうじゃなくて


そう信じてるから
そうなってるだけなのです。


前世の正しい使用法は


「やーん
そんなに能力高かったのぉ〜」


です。

ええ。

むしろバカっぽく()
一度やってるから
出来て当たり前の前提に変換。


それでこそ
前世の魂さんは、癒されるってものでありんす。

Photo  by.塚本ダイさん

 

八鍬千夏Instagram

 

だからこの世は面白い

私ね。。。

幼い頃から場の空気を読む事
とっても長けててね。

末っ子だから
いつも家族の顔色を伺いながら
家族の地雷を踏まない様に
上手に生きて来た所があって

それはもう

身体に染み付いていて
お仕事のアニマル・コミュニケーションを
行う時も

空気読む力はフル活用しているから
生きて行く上では
スタンダードだったのです。

 

でもね。



それをやってると
自分が誰だか分からなくなっちゃって
その生き方は有り難く卒業する事に
したのです。


が。


トイレで、おパンツ脱ぐレベルで
()
無意識さんに刷り込まれているから
ちょいとトレーニングも
必要なんですよね(^^;;

 

つい先日の事なのですが
名古屋から帰宅後。

塚本ダイさんの
お写真の撮られ方レッスンでの
出来上がったお写真を見てて

あれこれと
自分のダメ出し
しちゃってたんです。


そう。


私は
自分への評価が激辛タイプ。

 

これも、やめてあげよう

 

って、自分に誓ったのに
癖なので、やってしまうのですよ(^^;;

 

時間にして数分。。。。

 

このバイブレーションは
キャンセルしない限り

「あちゃーーー(°_°)」って

感情も乗っかって行くので
しっかり現象化して参ります。

この日。

ちょっと「え?」って言う出来事が
「どうゆうコトΣ(-᷅_-᷄)」になり
ちょいと悶々とした訳ですよ。

 

で。

 

インナーちーちゃんと対話です。



結局の所。
自分で自分にバッテン付けたから
他人様からもバッテンつけられる様な
現象が生み出されてしまうんです。

でも、これも

自分がそう、思っているだけで
実際にはバッテンなど
誰にも付けられてないのですけどね(^^)


「自分責め」や「罪悪感」は
エネルギーのレベルで言えば
最低ラインに近い位置の
低いバイブレーションなのです。

そして、この世は因果応報の法則があって
発したモノは自分に対してでも
他人様に対してでも
自分に返ってくるもの。


インナーちーちゃんに謝って

「どうなりたい?」

って、聞いてあげる。


視点を上げて
欲しい未来を感じて
バイブレーションの修正。

何でしょうね〜。

風の時代だからなのか
修正入れて数分後には
現象が収まって
心は穏やかに。。。

良くも悪くも
現象化が早い時代。

それでもやっぱり、人だから
急には変われないし
失敗しちゃう事もある。

それは、それで軌道修正したら
全然良い訳で

でも、軌道修正ばかりに
気を取られていると、、、

『軌道修正の無限ループ』のトラップに
迷い込んでしまうのも
この世の法則。


大切なのは、着地点。


「私は本当は
どんな風に生きたいの?」

 

自分自身に妙なレッテルを
付けているのは自分。

わざわざ、自分を下げて評価する必要など
本当はどこにもないのだと思うのです。

自分責めは、向上心ではなく
ただのドMプレイ。

やってみたい事
興味のある事は
それはもう素質の1つであって


可能性が無いと決めてしまうのは
ただ単にエゴちゃんが
世界観がガラリと変わるのを
怖がっているだけの
事なんですよね(^^)


それが分かってくると
この世は本当にオモロイ地球ランド(^^)


自分のランドは
自分で構築しないとね!


皆様は
本当は、、、
どんな風に生きたいですか?


Photo  by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram

自信のある。ない。の先にあるもの。

人生初のコンテストに参加させて頂いたのは
丁度、一年前の今日。

2月16日。
ミセス/ミズ.・アースの東海エリア大会。

当時の私は年中ジーンズ又は
本気ジャージ()

オバサン超越で
立派なオッサンでして
「美」とは程遠いあり様だったのです。

ですので、こちらのコンテストのお話しを
頂きました時
まず最初に頭に浮かんだ事は
「どうやってお断りしようか。」

でした。

頭の中は忙しく
あれや、これやと
出来ない理由を並べてみる。

特に人に誇れる特技なんてないし
名古屋遠いし
トラちゃん、お爺さんだし
生徒さん達とか変に思われたくないし
写真審査で落ちたらかっこ悪いし

えーーーーっと、、、、

あ!英語しゃべれんし!!

ゴタゴタと並べてみて
結局何が抵抗してたかと言うと

勝負とか
人と比べられるのとか
自信もないし。。。

何よりも怖かったんです。

 

「やっぱり、お断りしよう。」

 

って思った時
私の奥底から

 

「ありのまま」

 

と言う声が聞こえて来ました。
ハっ(゚Д゚)としました。

「いーじゃん。ありのままで。
英語出来ないからと言って
人としての尊厳が奪われる訳ではないし
『冥土の土産』くらいの気持ちで
気軽に楽しめば?」

って。

でね。

私はその奥底から聞こえて来る声に
耳を傾けてみる事にしたのですよ。

ヤドカリの様に
自分のテリトリーにいるのが
大好きな私としては
テリトリーから出て
人前に出るなど
かなり勇気のいった事ですが

ちょっとダメな自分も
曝け出してみようって。

初めてお顔合わせ出来たのは
お仕事が忙しくてレッスン参加できず
2/14の最終リハ。

皆様、もうすっかりお友達になられているし

ほら、あれよ。
昭和ドラマのノイズがあって
美人でセレブな人って
意地悪ってイメージが作られているから

コンテストも恐怖だったけど
完全なるアウェイで
のこのこ東京から行って
中に入れて頂けるのだろうか。。。
と言う、恐怖。

あーーーー。もーーー。って
萎え感半端なかった_:(´` ):
のですが

皆様、美人でセレブなのに
お心も美しく
第一関門、無事に通過(ほっ)

安堵感から1人震えていたのを
思い出します。

東海大会は
東急ホテルで開催されたのですが
その煌びやかでゴージャスな雰囲気に

若干、金魚が竜宮城に来てしまった感は
否めなかったのですが

ふとね。
学生の時の事を思い出したのです。

身長が170cmもある私。
良くも悪くも
ただ立ってるだけで目立ってしまう。
高身長はずっと
コンプレックだったのですが

10代の時は繁華街を歩くと
よくモデルさんのスカウトも
頂いたりもしていたのです。
家族は猛反対でしたので

「モデルさんかぁ、素敵〜」って

ちょっと憧れてはいたものの
当時は諦めたんです。

それ思い出して
そのまま置き去りに
されちゃっていた私が
すっごく喜んでくれてる気がしてね。。。

そしたら

自信のある。とか
ない。とか
もう、どっちでも良くなってました。

舞台に立って
スポットライト浴びて

ただただ
煌びやかな世界があるだけで


自信の在る、無いは
自分で決めている事なんだなって。

そして、日本大会への切符を頂き
東海エリア統括の典子さんに

「おめでとう」

って、サッシュを付けて頂いた時
すっごく温かな気持ちになったんです。

「あれ?私、輝いてもイイんだ〜」

って、心が正直に反応していました。
あんなにシノゴノ言ってたのに()

 

『自信のある。ない。』

って、漠然と浮かび上がって来る物
な感じがしてたけど
本当はそうではなくて

「失敗したらカッコ悪い」とか
「他人様からどう思われるか」とか

案外、ショボイ所からやって来る。

 

そんなショボイ自分に
ぐるぐる巻にされていたけど
丁寧にぐるぐる巻解いてあげて
痛かったねぇ〜って
抱きしめてあげたら

思っていたよりも
ずっとずっと素敵な世界に
飛んでいました。

 

私達はみんな
自分の人生を
光輝いた物にしたい。


と、願っています。


でも


それは自分の外側にはありません。


そう

 

それは既に自分の内側に
生まれた時から内在しています。


『輝きたい。』

ではなく

『輝く。』

と、決めたら
そうなって行きます。

 

《自信のある、ないの先にある物》

 

それは


《自分の心に正直に生きて行く人生》


なのだと私は思います。

Photo by.塚本ダイさん

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期待されない人生のメリット

『期待されない人生』

と一言で言うと
何だか物悲しいフィーリングがありますが
私は人生の大半を、この

『期待されない人生』

のメリットの部分で生きて参りました。

何となく、場の空気を読んで
無難でいる方が楽だし安全だったから。

私には、3つ上の姉がいます。
姉は優秀で近所でも有名な才女。

通信簿もほぼオール5に近く
最低でも3
しかも、その3は保健体育。

中学の時はs全学年で一番を誇った
事もあるのです。

高校から名門校に入り
そのままエスカレーター式で大学。
倍率の高い難しい学部でした。

一方、私は
昭和あるあるな感じの子で
ちびまる子ちゃんの様にな
ちょいと、素っ頓狂な?子供でした。

前にも書きましたが
他の子が当たり前に出来る事が
出来ない。
そんな子供でした。

姉は本当に優秀だったので
常に両親の期待と
プレッシャーが掛かりました。

テストで100点以外の点数
と、言っても平均90点以上。
それでも、褒めてもらえる事はなく

「ここ、どうして間違えたの!」

と、両親に厳しく言われていたのを
見て育ったのです。

その時に思ったのが

「期待されると大変な事になる。」

でした。

それから私の
出し惜しみ人生が始まるのです。

実際。。。

『優秀』であるより
『おバカ』の方が
楽でしたし、良い事尽くめ(*゚∀゚*)

うっかり100点取ってしまった時には
「え?お誕生日??」と思うくらい
豪勢なお夕飯なのでした()

これに味を占めると

「私は、この路線で行こう!」

と、密かに心に誓いを立てるのですが
これがまた。。。

後々に、参事を引き起こすのですよρ`)

そう、実力発揮しては危険なので
常に絶妙な線で、出し惜しみ

家族間では
とっても便利な
コミュニケーションツールでしたが
物心ついた時からやってるので
急にはチャンネル変えれないんですよ(^^;;


どんな弊害があったかというと。


後一歩!と言う時に
いつもチャンスが掴めず終わるんです。


そこそこ、評価を頂いていても
一番得たい物は
掌から流れて行ってしまうのです。

『期待されたら、大変な事になる』

と、幼い頃に姉が
両親に期待されクリアし
更に高い目標を期待され
それもクリアして
更に、、、、目標、、、

でも、その割には評価されず。
ただただ、両親の期待に応えて
クリアしてた姉を
を遠目で見てたから。


『実力を発揮してはいけない』


何をやっても、どおも中途半端なのは
これが足枷になってしまってたんですね。

心理学を自分の為に学び
紐解いてみて、見えて来た事。

「な〜んだ、私がダメな訳ではなかったんだ。」

それは
私が私の身を守って
やっていてくれた事。

そう思うと「出し惜しみ人生」も
愛おしいく思います(^^)

 

当時は姉妹で大変な思いを致しました。

特に姉は。
期待に応えて行く事が
両親を喜ばせる事。

自分の存在価値。

80点では怒られるのに

ポッと出の妹は
80点でもお祭り騒ぎなのですから

心が凍りつく瞬間は
沢山あったと思います。


今では姉妹で笑い話し(^^)

戦時中の混乱期を生き抜いて来た
両親からしてみれば
自分にはして貰えなかった
十分な教育をしてあげたい。
どこにお嫁に行っても
恥ずかしくない娘にしてあげたい。
(出戻ってゴメンよぉ)
という、想いだったのだろうなぁ〜と思い
今は感謝が湧いて参ります。


私が欲しかった愛。
両親が注ぎたかった愛。


形が違っていたけど
だからこそ、気づかせて頂けた事。


愛は愛で在る事に、違いはないですね
(o^^o)

ここからの人生は

『笑顔で本領ダダ漏れ人生』

で参りますわよ

Photo by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram

本能のお話し

ここ最近、美しい女性達とお会いする事が多く
ちょいとこんなテーマでお話しさせて頂きます。


今日は『本能』のお話し。


殿方が女性に魅了される部位で
常に上位にあるのが「お肌」
若い子の様に
ピーンと張った瑞々しいお肌は
女性の永遠の憧れですね(o^^o)


でも、この世に「メス」しかいない
世界だったら、どおでしょうか?

子孫繁栄はなくても良い世界です。
それでも「美」を追求される方は
きっとかなりの少数派でしょう。

女性が『美しくありたい。』

と言う願いも

殿方が『美肌の女性に惹かれる。』

と言う想いにも

実はちゃんと根拠があるんです。


それは『動物的な本能』

 

こう聞くと
ちょっとエロティック

でも、実はもっと現実的です()

人も動物も体調が悪いと皮膚に出ます。
お肌ガザガザだったり
毛がパサパサ、抜け落ちる
人の場合は顔色も悪くなりますね。

そう、お肌は一番分かりやすい
健康のバロメーターなのです。


特にお肌は『腸』が悪いと
顕著に出ます。

腸は免疫を司る

健康管理にはとても重要な臓器。

実際に腸の悪い動物さんは
病気になりやすいんです。

お肌や毛艶の良い動物は
『健康です』と張り紙を
している様なもの。

自然界では

オスは、より多くの子孫を残す
と言う事をコミットしていますので
出来る限り『健康』なメスと
結ばれたい訳ですよ。

メスはメスで
より強いオスのDNAが欲しいので
オスを惹きつけるフェロモンで呼び寄せ
最も強いオスを選ぶのです。

動物にはおブスとか美人とか
ないんです。

野生の動物は子孫繁栄をして行く事が
この世でのお仕事でもあるので
健康か否かは
その先で明暗を分けてしまうのです。

なので、動物的な感覚の殿方は
見た目の美人か否かより
お肌とか体臭が大丈夫なんですね〜(^^)

まあ、確かに
ピーンと張った艶のあるお肌は
触り心地も良さげですしね。

殿方が魅了されてしまうお気持ちも
よくよく理解できます(^^)

『単なるスケベ心ではなく本能』

そう思うと

もう人と動物の違いは
見た目だけで
全てが1つである事が
よーく理解できます。

現代社会においては
本能を抑圧して生活してないと
行きづらい世の中ではありますが

人はもう少し

『本能の赴くまま』

を大切にしたら生きたら良いのになぁ。
とも、思う今日この頃です。


Photo  by.塚本ダイさん

八鍬千夏Instagram